About Kutchan
倶知安町を知る

アイヌ語の「クッシャニ」―「くだのように流れ出るところ」という美しい言葉に、この地の物語は始まります。倶知安という漢字の響きに変わりゆく中にも、清流の記憶は今も尻別川となって町を潤しています。雄大な羊蹄山とニセコ連峰に抱かれたこの地で、先人たちは厳しい風雪と向き合い、たゆまぬ努力で豊かな郷土を切り拓いてきました。幾世代にもわたり培われた精神は、酷寒の風土をむしろ恵みへと変える力となり、やがてこの地を世界に誇るスキーのメッカへと育て上げました。後志の中心として発展を続ける倶知安町は、先人たちの開拓精神を受け継ぎながら、自然と文化が調和する新しい時代のまちへと、歩みを進めています。


数字でみるくっちゃん町

面積
261.34km2

(米国ウィスコンシン州ミルウォーキーと同規模(250㎢)

人口総数
14,674

うち、外国籍住民 1,192人(914世帯) 2024.9現在


/人口の約12%が外国籍

年間平均気温
8.0°C

(2022年の最高30.6℃、最低-18.6℃)

2月の平均積雪量/2019~2022年度
188.5cm

(道内4位)


/世界に誇る良質なパウダースノー

じゃがいも(ばれいしょ)の収穫量(2022年度)
33,000t

(北海道で16位)


/豊かな土壌で育ったじゃがいもは自慢の逸品

年間観光入込客数:2023年度
1,304,300

(日本人宿泊者数295,700人/外国人宿泊者数573,400人)


/冬期観光客の8割が海外観光客

外国人旅行者ランキング: 2023年度

  1. 1位 オーストラリア
  2. 2位 香港
  3. 3位 シンガポール
  4. 4位 アメリカ合衆国
  5. 5位 中国

/オーストラリアからのスキー客は日本一

History
倶知安町の歴史

スキーの町

日本のスキーの歴史を語るとき、倶知安町は特別な輝きを放つ場所です。1912年、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人テオドール・フォン・レルヒが日本にスキーを伝えてから間もない1916年、この地で初のスキー大会が開催されました。厳しい寒さと深い雪に向き合ってきた町の人々は、スキーという新しい文化を、たくましい開拓精神とともに受け入れていったのです。その後、1961年のニセコひらふスキー場の開設が、倶知安町の歴史に大きな転換点をもたらして以来、この地に降り積もる極上の雪は、世界中のスキーヤーたちを魅了し続けています。一世紀以上にわたって育まれてきたスキーの文化と、この地ならではの雪は、今やニセコと世界を結ぶ、かけがえのない架け橋となっているのです。

サンモリッツと倶知安

世界有数のスキーリゾート地として名高いスイスのサンモリッツ市と倶知安町は、1964年に姉妹都市提携を結び、スキー文化を通じた相互訪問を重ねてきました。アルプスとニセコ、二つの雪の聖地は半世紀以上にわたって絆を深め、2024年には提携60周年を迎えています。

小川原脩 記念美術館

小川原脩(おがわら しゅう)
1911-2002

倶知安が誇る芸術家、小川原脩は東京美術学校(現、東京芸術大学)を卒業後、前衛画家として活動を開始。超現実主義の美術文化協会設立に携わり、戦後は故郷・倶知安に戻って60年の長きにわたり創作活動を続けました。60歳からは中国、チベット、インドへと旅立ち、新たな創作の地平を切り拓いています。美術館では小川原脩作品の常設展に加え、年間を通して様々な企画展を開催。羊蹄山の雄大な眺めを望むロビーは、芸術と自然が調和する特別な空間となっています。

倶知安風土館

倶知安町の豊かな自然を、五感で感じることができる特別な博物館です。「見て、触れて、感じる」をコンセプトに、解説を最小限に抑えた展示と、実際に手に取れる資料を通して、大地の営みと人々の暮らしの知恵が息づいています。ニセコと羊蹄山の雄大な自然をテーマにしたゾーンと、この地の歴史と暮らしを紹介するゾーンが、物語のように繋がっています。風土館と美術館を包み込む緑豊かな庭園もまた、訪れる人の心を癒してくれます。

大仏寺本堂の天井画

倶知安町指定有形文化財(昭和46年3月30日指定)

天瑞山大仏寺の本堂に広がる178点もの天井画は、見上げる人の心を魅了する美の世界。花鳥風月や観音様を繊細に描いた墨絵と彩色画は、初代住職の斉藤忍髄により大正3年から描き始められ、大正7年7月に完成しました。その芸術的価値は高く評価され、昭和46年には倶知安町指定有形文化財の第1号となりました。平成7年、真吉勝俊住職の時代に行われた本堂の大改修では、新しい格天井に鮮やかな色彩が蘇り、往時の輝きを取り戻しています。この貴重な文化財をご覧いただくには、事前の予約をお願いしています。

倶知安赤坂奴

倶知安町指定無形民俗文化財(昭和60年7月1日指定)

赤坂奴(あかさかやっこ)は、江戸時代の大名行列で先導を務めた勇壮な芸能です。かまひげを付け、槍や長柄、挟箱を手にした奴たちの所作は、往時の威厳を今に伝えています。倶知安町では昭和8年、陶山増太郎と佐藤村蔵の指導のもと、第一青年団によって奉納されたのが始まりでした。戦時中は一時途絶えましたが、戦後、八幡地区の人々の熱意によって復活。以来80年近くにわたり、地域の誇りとして大切に守り伝えられてきました。今も7月末の倶知安神社例大祭奉納奴行列や、夏のくっちゃんじゃが祭りでその勇壮な姿を見ることができ、往時の精神を今に伝えています。

羊蹄太鼓

倶知安町指定無形民俗文化財(平成9年11月1日指定)

「羊蹄太鼓」は、太鼓のロクさんこと高田緑郎さんが昭和38年に創作した特別な演奏曲です。四季折々の羊蹄山の表情や、山頂を目指す人々の想いを太鼓の響きに込めた、この地に根付いた心の調べです。「太鼓はね、人の心を映すんだよ。上手も下手もないんだよ、大きな声を出して、楽しく打つ、それがロクさんの太鼓なんだよ」というロクさんの言葉のように、羊蹄太鼓は子どもから大人まで、世代を超えて愛され続けてきました。毎年8月上旬と10月中旬には、北海道各地から太鼓団体が集い、大規模な演奏会が開かれ、太鼓の響きがこの町に豊かな彩りを添えています。


漫画くっちゃんむかし話

倶知安観光協会は、町の歴史を様々な角度から紹介する「漫画くっちゃんむかし話」を制作しています。
倶知安はかつて湖だった!?、倶知安の観光のはじまりは山岳温泉郷、倶知安が日本一のシェアを誇るオブラート生産のはじまり、スキーに魅せられた北大生などなど、知られざる倶知安の歴史を見つけてみませんか?
漫画の一部を収録した冊子は、倶知安観光案内所(JR倶知安駅内)で販売中です。

  • 第1章「羊蹄山と倶知安」(PDF
  • 第2章「倶知安の夜明け」(PDF
  • 第3章「倶知安の行政と小学校の始まり」(PDF
  • 第4章「倶知安に鉄道がやって来た!」(PDF)(eBook
  • 第5章「レルヒ中佐 初の羊蹄山スキー登山!!」(PDF
  • 第6章「ひらふスキー場の始まり」(PDF)(eBook
  • 第7章「倶知安じゃがいも物語」(PDF
  • 第8章「くっちゃんの観光」(PDF
  • 第9章「硫黄鉱山のおもかげ」(PDF)(eBook
  • 第10章「太鼓のロクさん物語」(PDF


多文化共生のまちづくり

倶知安町は、恵まれた自然環境によって数多くの観光産業が発展したことから、日本を代表するスノーリゾートとなり、また夏のアクティビティ開発もあり、数多くの外国人観光客が訪れる世界があこがれる町となりました。
世界各国の数多くの方から注目され、徐々に外国籍住民が増えたことをきっかけに、倶知安町では、町に暮らす人々が互いの文化を認め、理解しあいながら共に生きていくことのできる『多文化共生のまち』を目指した取り組みが進められています。

くっちゃんにほんごサロン「にこちゃん」の実施

町で暮らす外国人と日本人が「やさしい日本語」を通して交流を深める場を週2回実施しています。(一部休止期間有)

#広がる「にこちゃん」の取り組み

  • 多文化料理サロン(倶知安まちづくり協働会議コラボ)
  • やさしい日本語で119番通報訓練(羊蹄山ろく消防組合コラボ)
  • 多言語読み聞かせ(絵本館コラボ)

俱知安町の多文化共生への取り組みの詳細は、町HPをご参照ください。